<随想>――集団疎開裁判の視点――

90歳の老人がネットから見た

“レベル7” 「ふくしま」 の苦悩

                    

近藤幸男

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私が今年2月、山本太郎の「脱原発独り舞台」を読んで、「ふくしま集団疎開裁判」をはじめて知り、「ふくしまの子を救いたい」熱い思いが込み上げるままに、裁判支援の運動に加わってから早や5カ月が経とうとしている。

この間、都道に面した我が家の玄関先に「脱原発で子育てに安心を!」の大看板を立て、4月末には「ふくしま集団疎開裁判の支援にご協力を」と看板の文面も前進させた。そして市内をはじめ全国の友人知人に訴えて1000筆余の賛同署名をよせていただき、若干の資金をそえて現地に送った。

 

4月からは、毎日郵送されてくる一日遅れの「福島民報」を通じて、疎開裁判だけでなく現地の出来事が、政治、社会、経済、文化の全面にわたって不十分ながら伝わってくるようになった。さらに5月の始めに「こども福島ネットワーク」にも加わったことで、市民が抱いている放射能汚染へのさまざまな不安や、「県民健康管理調査」検討委員会の指導下に進められている、全県民対象の甲状腺エコー検査の中間発表についても、疑念と不安の声が居ながらにして知れるようになった。

 

この間に、弁護団からチェルノブイリ原発事故の実態を深く分析した意見書があいついで仙台高裁に提出され、郡山市側を慌てふためかせる事態も生まれている。いずれ市側の「答弁書」も提出されるから、法廷での文書による論争が新しい局面に入ることになるだろう。また時を同じくして、チェルノブイリ原発事故の被害状況を研究、解明してきたベラルーシウクライナの医師、科学者が相次いで来日し、各地で講演して事故後26年たった今なお続く放射能被害の惨状を証言したのも、「ふくしま」の放射能汚染問題が国際的な注視の的となっているにとどまらない、科学上の、また医学上の国際的論争の重大な焦点となってきていることの現れではないかと思う。私は今、福島原発事故が「レベル7」であるという事態の重さを改めて痛感している。

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初めは放射能のもとでの学業を余儀なくされている子どもたちを救いたいという思いだけで行動を始めたのだが、集団疎開をめぐる郡山市の対応や世論の無関心、にもかかわらず全県下ですでに三割余の子どもに甲状腺の病変が発生していること、県の面積の七割が山林で徹底した除染は不可能に近いこと、またチェルノブイリの惨状とその教訓を知れば知るほど、原発事故後一年余を経過した「ふくしま」に集中してあらわれている「混迷する日本」への憂いはますます深まるばかりである。

 

その混迷を切り開く闘いとして発展しつつあるのが「集団疎開裁判」である。集団疎開裁判は福島県内では広く知らているが全国的には殆ど知られていない。福島県下の放射能汚染が、一部の地域を除いては危険なものではないと、政府主導下のメディアによってくりかえし報道されているもとで、五大新聞やテレビがこの裁判を完全に黙殺しているからである。

 

福島地裁郡山支部が、申立人側から提出されたチェルノブイリ関係の証拠など「どこ吹く風」と頬かむりし、政府の原発事故収束宣言と時をそろえて申立却下の判決を下したのもそうした背景があったればこそである。

 

この裁判で争われているのは、子どもたちが安全な場所で義務教育を受ける権利を持つことを裁判所が司法の名において公式に認めるか否かである。しかし「人権の最後の砦」とされる裁判所が、正義の立場に立ちきることは世論に支えられてはじめて可能となる。このことは松川事件裁判を引くまでもなく、最近の布川冤罪再審裁判などにも明確に示されている。

 

この集団疎開裁判において、裁判所の事実認定にかかわる問題として相手側と直接的に争われるのは、福島の放射能汚染の持つ「生命と健康に対する差し迫った危険性」の問題である。この点で集団疎開裁判は高度な科学論争の場となっている。一審では裁判所はチェルノブイリの事故の示す事実に目をつぶったが高裁ではそうはゆかない。

 

私は科学者でも医者でもない九十歳を越えたただの老人だが、チェルノブイリ事故後の周辺国での被害の実態を克明に調査研究したパンダジェフスキー氏をはじめとする科学者、医学者の論証は、福島の放射能に対する安易な予断をきっぱりと拒否する内容をもって迫ってきている。顕著な事例だけに絞って、二,三、提示をしたい。 

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 ①子どもの甲状腺ガン発生の可能性の問題

 

(イ)         ベラルーシでは子どもの甲状腺ガンはチェルノブイリ以前は10万人に0.1人だったものが、事故後チェルノブイリ周辺のルギヌイ地区では1000人中10人以上に発生した。

 

(ロ)         現在福島県下で35%もの子どもに発生が確認されている甲状腺の結節や嚢胞(いずれも他に前例を見ない)は県立医大の医師によって「良性」と判断されているが、チェルノブイリでは5年後から子どもの甲状腺ガン発生が急増した。この事実は福島の子どもたちに現れている結節や嚢胞がガン化する危険性を持つことを警鐘を乱打して教えているものである。

 

 ②ベラルーシでセシューム137が市民の臓器に蓄積されていた問題

 

(イ)ベラルーシの研究者パンダジェフスキー氏はチェルノブイリ事故後 11年たった1997年に死亡したベラルーシ市民、大人と子供の病理解剖の結果について次のように報告している。

ⅰ、心筋 脳 肝臓 甲状腺 腎臓 脾臓 筋肉 小腸 の

8臓器にセシューム137がまんべんなく蓄積していること。

     ⅱ、子どもの蓄積量の方が大人よりもどの臓器でも多い。

     ⅲ、甲状腺に多く蓄積。特に子どもの甲状腺に際立って多い。

 

(ロ)セシューム137が全身あらゆるところに運ばれ蓄積されていると いうことは、全身いたるところで内部被曝を生涯にわたって起こしたことを意味し、あらゆる症状、あらゆる病気や機能不全が生じたことを物語るもの。

 

(ハ)このことから、現在、東北地方や、関東地方で多数訴えられている  多様な症状、たとえば鼻血、喉の痛み、気管支炎、下痢、血便などの症状が放射線の内部被曝に起因する可能性があること。

 

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福島県は6月12日、昨年の原発事故後4か月間に県民の受けた放射能の外部被曝の推定値を発表した。「1ミリシーベルト未満が51.4%」「いずれの数値も健康への影響は考えにくい」と県健康管理検討委員会は見解を発表したが、県民の健康を脅かしているのは外部被曝ではない。そのような外部被曝を余儀なくされる状況下で県民が受け、また現にうけている内部被曝である。

 

呼吸や飲食によって体内に取り込まれた放射性核種は、各種臓器に運ばれて蓄積され、生涯にわたって放射線を出し続け、人体を傷つける。これが内部被曝である。チェルノブイリにおける死体の病理解剖が示しているのはこの冷厳な事実である。県・市は内部被曝について、「ホールボディカウンター」の台数を増やし、全県民の検査を急いで行うと云い、実施した4月分の検査結果は、「今後50年間の内部被曝量を表す預託実効線量が検査した6846人全員、1ミリシーベルト未満であり」「健康に影響が及ぶ数値ではない。」と新聞発表している。(福島民報

 

だが、この「ホールボディカウンター」による検査では、内部被曝で人体に最大の破壊作用を起こすアルファー線、ベーター線は測定できず、ガンマ―線のみの測定でしかないことを、故意か偶然か、隠した形のままの発表となっている。測定結果の扱い方如何によっては、高額の投資がかえって内部被曝の実相を覆い隠す役割を果たす危険があるといっても過言ではない。

 

6月6日、発表された大学教授らの親子のストレステスト調査結果では、2103人の回答の中で、「洗濯物は外に干さない」や「子どもに外遊びはさせない」と答えた家は昨年と比べ、それぞれ1割前後減っているが、子どもに頭痛・吐き気が「時々起こる・よく起こる」と38・02%の保護者が答え、昨年夏の6倍以上になったという。(福島民報)。 県や市の否定にもかかわらず内部被曝が進行しているのではないかという不安を、見せつけられた思いがした。

 

今、福島県民にとどまらず国民全員が知りたいと思い、その対応策を一日も早く確定したいと願っているのは、恐るべき内部被曝の進行状況であり、その測定が不可能であるとすれば、その進行状況についての根拠ある推定と、万全を期した対策なのである。間違えてはならぬと思う。

 

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内閣府よると、震災関連の福島県内の自殺者は15人前後とみられているようであるが、広く報道された牛飼いの農家の黒板に書かれた遺書の記憶もまだ消えないのに、5月28日には浪江町で、6月10日には南相馬市で、いずれも警戒区域の自宅に物を取りに行ったまま帰らぬので身寄りのものが捜しに行って、縊死しているのが発見されたという悲しい報道に接しなければならなかった。

    

浜通りの集落では放射線量の強さによって、町や村をいくつかに分割するとか、先祖伝来の故郷に帰る見通しが立たないから他人の街や村の中に「仮の町」を作るとか、何とも暗いニュースばかりである。山地の多い中通りの町や村も、本格的に除染を徹底してやるには山林を根こそぎ伐採せねばならず、数十年かかるという。お先真っ暗と言いたくなる現実である。

 

政府と東電の責任で、子どもだけでも他県に移住させ、その間に徹底した除染をやる。せめてそのくらいやらねば福島は再生できないのではないか、と思えてくる。しかしそんな大事業を今の政府や彼らを背後から動かしている財界に求めても、やりっこないことは明白である。それどころか彼らは、福島の原因究明は棚上げにしたまま大飯原発の再稼働を力ずくで押し切ろうとしている。

 

そのような彼我の闘いの切迫した最中の6月11日、福島県民1324人が東電の勝俣恒久会長、清水正孝前社長ら15人と、政府の原子力委員会斑目春樹委員長、寺坂信昭前保安院長ら15人、それと県の放射線健康管理アドバイザー3人を福島検察庁に「告訴・告発」したというニュースが飛び込んできた。

 

地検前で記者会見をした告訴・告発団の武藤類子団長が「一人一人が人権を奪われ、困難な生活を余儀なくされている。辛く悲しい思いをしている人々のためにもこの訴訟勝利させたい。」と語ったが、”レベル7“の下での闘いはいよいよ本格的なものとなってきたと思う。この勝利を見届けるためにも、あと10年は生きなければと思っている。(終)